社史

日本のアニメーションのルーツ
動画工房の創業者 古沢 日出夫

日本のアニメーションの礎とも言われる(株)新日本動画社は、終戦直後の昭和20年12月、戦前から活躍していた古沢日出夫をはじめとするアニメ制作者が設立しました。その後、東映(株)(現・東映アニメーション(株))を設立、数々の名作を世に送り出しました。
(株)新日本動画がスタートした頃の人々の生活は食糧にも困る状態で、とても映画館で漫画映画を観るような状況ではありませんでした。従って当時は古沢も仕事がなく、雑誌の口絵から挿絵、4コマ漫画からストーリー漫画と徐々に仕事を発展させていきました。古沢の代表作である、「こがたタンクろう」、「あばれ太閤記」はこのような時代の中から生まれました。
また、忙しい原稿執筆の合間をぬって、「小人と青虫」、「スポーツ子狸・競馬編」などの短編アニメーション映画も作り、アニメーションへの情熱を持ち続けました。

昭和31年、東映動画(株)の大川博社長が大泉に動画スタジオを建設し、動画の活動を本格的に始めると、古沢はすべての連載を徐々にやめていき、動画一本に絞ったのです。
「少年猿飛佐助」「西遊記」「安寿と厨子王丸」「わんぱく王子の大蛇退治」など、数多くの作品に携わり独特の才能を発揮していきました。「ガリバーの宇宙旅行」の作画監督を最後に、昭和38年「狼少年ケン」のTV放送開始をきっかけに東映を辞めた古沢は、いよいよ自らの作品制作に乗り出すために独立し、日動新プロを創業したのです。
その後、日動新プロの解散、Fプロ設立・解散を経て、昭和48年7月、石黒 育を社長に(有)動画工房を創業し、現在に至っています。惜しむらくは古沢は平成3年4月に他界してしまいました。しかし動画工房の若いスタッフは古沢の想いを大切に受け継ぎ、良質のアニメーションを創ろうと日々努力を重ねています。

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